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通信系ハードウエアエンジニアのつぶやき
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本日、家の近くの小川でホタルを見ました。 今年は先日の大雨で川底がきれいに流されてしまったので、いなくなっちゃったのかと心配していまっしたが、100mぐらい上流の岩や草木の多い場所で、ポツンポツンと光始めたので、ああよかったなあと思っています。 うちの近くのホタルはゲンジボタルといって、大きなホタルです。 もともと子供の頃には実は見かけなかったのです。 私の子供の頃というのは、ちょうど大量に農薬散布などが行われていた時期で、親からはよく、川に入ると病気になるよと言われていました。 実際、学校の帰りなど、川の魚がいっせいに浮き上がって流れていく(信じられないでしょうが)現場を見たり、何もいなくなった川にアメリカザリガニだけがウジャウジャいたりという環境で育ったものですから、その後環境問題とか水俣病とかいう話題でもあまり驚かなくなったように思います。 川を見ていると、同じ川なのに、住む魚も変わってきたように思います。 一時期は防災関係で河川改修なども頻繁に行われました。 石ころの多い川も水の通りをよくするために、浚われて何にもなく浅い水だけになりました。そうするとコイとかフナとか淀みに住む魚がめっきり少なくなってしまいました。 かわりにそれまであまり見た事のなかったオイカワという魚が元気よく泳ぎはじめて、これがすぐ小さな石ころの間に逃げ込むので捕まえやすかったことを覚えています。 最近はと申しますと、農薬も強力なものは使用できないようで、魚が浮くといったこともありませんが、全体的に昔より魚が少なくなりました。 また、川の中にうじゃうじゃといた巻貝のカワニナもめっきり少なくなりました。こんな状態なので、ホタルといえばヘイケボタルばっかりでした。 家の近くで見られるゲンジボタルも実は、小学校や有志の方々の努力によって放流されたものです。 一度は消えてしまった光ですが、保護で何とか生き延びているという状況です。 ところがですね、以前たくさんいたヘイケボタルの方がめっきり少なくなってしまったのですが、どうも心配ですね。
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ネットでデジカメを見ていましたが、何か値段や性能はよくなったのですが、どこのメーカーも似たようなデザイン、そして機能で、このような感じだったら、新しくデジカメを買おうという気持ちも削がれてしまいますね。
 
画素数が多くなって画質もきれいで、消費電力なども少なくなって確かに進化しているのかもしれませんが、画素数はそんなに大きくなってもメモリが増えるのであまりありがたいとは思いません。
 
カメラメーカーなら普通ユーザーが写真をどのように利用しているのかもっと本気で考えればいいのに。
たとえば写真は撮りっぱなしではなく、あとで何かしら整理するものですね。
で、整理するにしてもアルバムに貼ったり、コメントをつけたり、部分的に拡大したりという作業をします。
アルバムだって人に見せるのなら簡単に体裁良くきれいにやりたいと思います。
 
このようなことがパソコン無しでカメラだけでできればいいのに。
 
せっかく液晶ディスプレイがついているのだから、コメント用の無線キーボードなどから簡単に入力できて、ファイルにコメントや音声が同時に記録できるようなファイルフォーマットにするってことはできないものなのでしょうか。
 
カメラから自作のアルバムをインターネットに送るだけで、ホームページで公開できるようなシステムカメラが欲しいですね。
いろいろなテーマで写真を楽しむというそんなカメラがもうそろそろ発売されるのではないかと思っています。
 グーグルなどが推進しているクラウドという次世代コンピュータシステムなんですが、よさそうですね。
 
パソコンといえば、もうインターネットはあたりまえで、ウェブにつながっていないと使いにくくてどうしようもありません。
 
いつもパソコンを使っていて不便に思うのは、ソフトをインストールしなくてはいけないことです。また、OSも含めて、不具合があったときはバージョンアップもしなくてはなりません。ダウンロードなどの時間も何か時間を浪費しているようで、だんだんソフトハウスに怒りが出てきます。
 
パソコンの機械自体も困りものですね、新しいOSが出るたびに、新機種を導入しなくてはならないのは、おかしいと思います。
 
当然のように新しい機種ではメモリが多く必要となり、高性能のCPUが貴重な電力消費量を上げていきます。
 
これがクラウドになると、インターネットのブラウザが動作するだけのシステムで済むのですから、パソコンもシンプルで省エネなもので大丈夫、コストも安くなっていくと思います。その分、見やすいディスプレーやキーボードをつけてくれればいいのですね。
 
セキュリティーにしても、不具合があっても、クラウドの方で対応するだけで、ユーザーは安心して使えるというのは、これが本来のパソコンの姿だと思います。
 節分の時など、鬼はソト、福はウチっていって豆まきをしますね。
この節分の風習は、「季節の変わり目」という意味で、本来は四季4回あったものです。
この時期には邪気を払うという意味で鬼を退散させる「豆まき」が行われるようになりました。
昔は1年の節目といえば、大晦日だったのですが、昔の一年の区切りは現在の十二月ではなく、立春を一年の始まりとして考えていました。年の代表的な区切りに邪気を払うというのが現在の節分の由来です。
 
ところが、この節分は輸入された文化であるとされています。
節分が現在のような形で庶民に広がったのは平安時代の宮中から全国の社寺へと普及していったそうで、文武天皇の頃に中国より伝えられたものです。
ここでおもしろいのは、日本でいう鬼のイメージは、オリジナルの中国とは違うのです。
中国の鬼というのは、死者の魂でイメージも黒装束で白い顔(キョンシー)のようなもので、節分のお面のような赤鬼、青鬼、角があるという感じではありません。
 
では、日本の鬼のイメージはどこからきたのでしょうか?
これには異説もあるのですが、中国で悪魔払いをするときに、「方相氏」という鬼を追い払う専門職があったそうで、恐ろしい容貌の人が担当したそうです。
後には、そうそう恐い顔の人も見つからないので、般若のお面みたいなもので代用したのかもしれませんね。地獄の鬼もほんとうは守り神の仲間なんですね。
 
そういえば、鬼の顔って仏様の脇にいる守り神の仁王なんてのも、そっくりです。
このように、日本の鬼のイメージはもともと守り神の容姿を取り入れたもので、鬼のかわりに神様に豆を投げつけているといってもいいわけです。
もう少しいうと、投げているのは畑の肉といわれる豆なので、これはお供えものと考えるなら鬼に豆は別におかしなことではありません。ただ、本来の意味からすると、どうぞお入りくださいと感謝して投げるべきではないでしょうか。
 
突然ですが、宇宙人はいるのでしょうか。
先日、たまたま我が家のDVDなんか整理していると、エイリアンやら地球外生命体やら、その手の映画がかなり多いのに驚いたわけです。
 
このような宇宙人なんかは、宇宙は途方もなく広いわけですから、いない方がおかしいということになりますでしょうか。
宇宙人という人みたいなものを考えると訳がわからなくなってしまいますが、植物みたいなものや昆虫みたい生き物ならいそうな気がしますね。
当然いたとしても地球上の生物のような形はしていないと思いますが。
 
そういえば、幽霊や妖怪や化け物を見たなんていうはなしは昔から多くされていますが、例えば鬼や天狗というのは、鼻が高かったり、皮膚の色が違ったりということで実は、外国人の難破者であった可能性もあるそうです。
そう考えると、宇宙人も幽霊とか妖怪のような形でコンタクトをとっていたのかもという考え方もあるわけです。
 
宇宙人ですから、わざわざ地球を目指して来るには理由があるはすですね。
ありそうな理由は資源探査などの調査でしょうか。
私が宇宙人だったら人間とのファーストコンタクトなどの無意味なことは省略してサンプルだけ持って帰ります。
そして利用価値がないなら、すぐに廃棄してしまいます。
なにも時空を飛び超してまで、いらない物を運搬することはないと思います。
 
そうそう、私が宇宙人だったら、地球の報告書を作成するのに、ゴミを集めますね。サンプルの多様性といい資料の頻度といい、文明のレベルを判断する宝の山だと思うのですが何か?

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